photo
楊柳観音(ようりゅうかんのん)菩薩立像 大安寺(だいあんじ)
天平時代 一木造 重文

<栄光の面影を伝える観音像>

南都七大寺の一つとして偉観を誇った大安寺は、縁起によると聖徳太子建立の熊凝(くまごり)道場を太子の遺志を受けた舒明(じょめい)天皇が百済大寺(くだらのおおてら)として建立。これを天武天皇が飛鳥に移して高市大寺(たけちのおおてら)としたものを更に藤原京の大官大寺(だいかんだいじ)と称し、文武3年(699)には高さ100メートルにも及ぶ巨大な九重塔も完成して、飛鳥四大寺の筆頭に数えられました。
その後、間もなく平城遷都により奈良に移転したのが大安寺ですが、ここは東西の両塔院を擁した大伽藍でありました。
しかし平安時代以降は次第に衰微を余儀なくされ、特に桃山時代末期の大地震では壊滅的な打撃を受けました。
そうしたなかで楊柳観音(ようりゅうかんのん)をはじめとした一木造りの優れた彫像が、奇跡的に災禍をくぐり抜け、大安寺様式と称されて天平の栄光の面影を今日に伝えています。

写真・解説/小川光三(飛鳥園)